大祓のそもそも
6月も下旬となり、夏至を過ぎるとあっという間に1年も折り返しを迎えます。各地の神社では茅の輪が設置され『夏越の祓』の準備が進められています。夏の風物詩としてすっかり定着し、すでに茅の輪くぐりが毎年の恒例行事となっている方もいらっしゃることと思います。
『大祓』は夏と冬の年二回行われ、夏は「夏越の祓」、冬は「年越の祓」といいます。日常生活をおくっている間に知らず知らずのうちについてしまった穢れや、犯してしまった罪や過ちを祓い清める行事として行われています。
もっとも古い『大祓』の記録
『古事記』には14代仲哀天皇(当社御祭神の足仲彦尊)が崩御され国の大祓をおこなったと記録が残されています。『神祇令』(律令国家における国家祭祀の大綱を定めたもの)には「六月・十二月の晦日(月の末日)に大祓を行う」と規定され、以降定期的に行われることとなりました。もともとわが国全体の祓であるので大祓または国の大祓などといい、国家行事としておこなわれました。
国全体として『お祓い』が必要な理由
神々をはじめこの世界に存在するもの一切の霊魂は、元来仲睦まじくあるべきものであり、互いに助けあい導きあって祝福を頒かち合うべきものと考えられていました。このような結びつきが緩んでしまうと、枉津日の神(まがつひのかみ:「けがれ」を象徴し凶事をひきおこす神)がはびこることを許してしまうため、緩んだ霊魂の結びつきを定期的に回復する必要があったのです。自分一人が反省し贖罪をしたからといって真に霊魂の幸福が実現するとはいえず、全ての人が幸福を求め霊魂を結束させることでこの世界から罪悪や不幸を取り除くのだと考えます。自分の不幸が他人の不幸であり他人の不幸は自分の不幸となるため、この結束した霊魂の共同体は悪を排除し善を実現するために共同作業として『はらえ』を行うのです。
大祓は儀式化・慣習化されて長く伝えられてきましたが、その発展の根本にはこうした運命の共同体・霊魂の結束という考え方があるとされています。世の中の生きとし生けるもの、在りとしあらゆるものは、共に悲しみ共に栄えるもの、という考え方です。
人の不幸や罪悪は個人の責任において解決すべき、という考え方もあると思いますが、その原因が社会の欠陥や自然の災厄に起因する場合もあります。罪悪や不幸にはいまだこの世の中から取り除くことのできない種々の問題が根差しており、社会的な協力がなければ解決できない問題もたくさんあります。人に罪を与え不幸を与えているものを除去し人と社会とに幸福を取り戻すことが必要である、という考えが『大祓』の思想の根底にあるのです。