蚊里田八幡宮とは
蚊里田八幡宮は長野市若槻の総鎮守として、古くから地域の人々の暮らしを見守ってきた神社です。
御祭神には応神天皇(八幡様)、仲哀天皇、神功皇后をお祀りし、家内安全・厄除け・安産・子育てなどの御神徳で広く信仰されています。
神功皇后
蚊里田八幡宮には、古くから「鎮懐石(ちんかいせき)」と呼ばれる霊石が伝えられています。
鎮懐石は、御祭神である神功皇后と応神天皇(八幡様)の出生にゆかりが深い御神宝です。
伝承によれば、神功皇后は三韓征伐へ向かわれた際、応神天皇を御懐妊中でした。
その折、皇后は出産を遅らせて無事に戦を終えるため、石を懐に抱いて身を守られたと伝えられています。
この石が「鎮懐石」と呼ばれるようになり、古くから安産や子育て、母子の守護の象徴として大切にされてきました。
当社に伝わる鎮懐石は、源義家公から若槻庄の地頭であった若槻氏へと伝えられたものと伝承されています。
その後、若槻の総鎮守である蚊里田八幡宮に奉安され、今日まで地域の人々によって大切に受け継がれてきました。
現在毎年五月五日に執り行われる春季例祭では、神宝櫃に納められた鎮懐石が神幸行列とともに地域を巡り、本殿へ奉安されます。
この神事は鎮懐石を中心とした当社ならではの祭礼であり、善光寺平春の三大祭の一つとして広く知られています。
鎮懐石は単なる古い石ではありません。
神功皇后の伝承を今に伝え、地域の歴史と人々の祈りを結ぶ大切な御神宝として、今なお当社で大切に守り伝えられています。
春季例祭
仁平年間(1151~1154)の創建と伝えられています。長野市若槻地区の総鎮守であり、旧社格は郷社。御神体は神功皇后が朝鮮征伐の際、皇子(後の応神天皇)誕生を遅らせるため身につけられた鎮壊石といわれる霊石だと伝えられています。
平安時代後期、武将源義家が陸奥征伐の際、この霊石を陣中の守護神として携えて出陣し戦功をあげました。その後、霊石は六男義隆(若槻氏を称す)をへて、義隆の子頼隆に伝えられ、頼隆がこの地の領主となったおり、社殿を造営し霊石を納めて八幡大神を奉祭しました。社名はこの霊石に由縁ある筑紫国蚊田の里(現在の福岡県宇美町)から転称したものです。現在の社殿は文久二年(1862)の再建です。
春季例祭はかつて五月八日に行われていたことから『お八日』と称し親しまれており、安茂里大門の正覚院、長沼の西厳寺とともに善光寺平一円の三大春祭の一つに数えられています。奉納相撲は大人相撲から子供相撲へと変わりましたが150年以上にわたって続けられています。
~善光寺平春の三大祭~
正覚院(長野市安茂里大門) 観音まつり 4月18日
西厳寺(長野市長沼) 蓮如忌 4月25日
蚊里田八幡宮 春季例大祭 5月5日
・誉田別尊(ほんだわけのみこと)…第十五代応神天皇
・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)…第十四代仲哀天皇・応神天皇の父君
・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)…神功皇后・応神天皇の母君
誉田別尊(応神天皇)は足仲彦尊(仲哀天皇)と息長足姫尊(神功皇后)との間にお生まれになった第四皇子です。
仲哀天皇が熊襲(九州南部を本拠地とし、朝廷に従わなかった人々)の反乱を平定に向かわれた途中、筑紫(今の福岡県)の地で突然崩御されました。残された神功皇后は神の託宣(お告げ)を受け、出兵先を朝鮮半島の国である新羅へと切りかえます。この時すでに皇子を身ごもっておられた神功皇后は、出産を遅らせるために鎮懐石を身につけて戦い新羅を平定しました。戦が終わって九州の地に戻られると、皇子(誉田別尊)を出産されました。
出世開運、家内安全、家運隆昌、安産、子孫繁栄、病気平癒、健康長寿、災厄消除、など
嘉永七年(1854)佐久間象山先生の揮毫。春季例祭時に立てています。現在は社宝として筆代わりに使用した箒と共に大切に保管されています。現在掲げている幟は当地出身の象山先生の門弟、花岡復斎(1833~1908)による模写です。
威稜扶宇宙(いりょううちゅうをたすけ)
恩眷煦生霊(おんけんせいれいをくす)
意味:八幡大神の御威光で宇宙が安定している その恵みが生物の上に行き亘っている
正月元旦 歳旦祭
春分の日 祈年祭
5月5日 春季例祭(巫女舞奉納、奉納子供相撲、植木市)
9月最終日曜日 秋季例祭/旧社殿磐座例祭(神輿渡御、神楽巡行、奉納煙火)
11月23日 新嘗祭/山神社例祭
12月31日 除夜祭
信州若槻郷総鎮守
長野県長野市若槻東条字蚊里田1313番地
TEL:050-1720-5855
